忍者ブームの変遷と忍術イロイロ①

前回までで3つのキャラクターを「盗むという行為」「妖術という技術」
「正義という精神性」という焦点に合わせて紹介しました。
石川五右衛門の物語には庶民の願望が反映されていると考えられますが、こ
のキャラクターに付け加えられた忍者という要素は、盗みを行うための技術と
して忍術を用いるために必要だから付加されたのであって、忍者=庶民の味方
という発想によるものではありませんでした。忍者=庶民の味方というイメー
ジの忍者像の確立は、「立川文庫」によって猿飛佐助という新しいタイプの忍
者が創造されて以降だとされています。よって、石川五右衛門の物語の中心に
あるのはストーリー性だ、と言えるでしょう。これは、先に挙げたように「忍
者ブーム」の背景に時代性や社会性を見て、忍者はこれらの反映だと評価する
のと同様です。よって、石川五右衛門を主役に据えた物語は現在でも現代的な
解釈が当てはめられるため機能すると言えるでしょう。
また、フィクションに登場する創作上の忍者の代表は猿飛佐助であり、この
、猿飛佐助において完成した忍者像には、一連の「ジライヤ」ものから生み出
されたイメージが大きな影響を与えていますが、肝心の「ジライヤ」ものに対
する一般的評価は低いです。それは、「ジライヤ」が非現実的な忍術(妖術的
な)に大きく依存するキャラクターであるためでしょう。主題である盗むとい
う行為に反権力を視ることで社会性を反映する石川五右衛門や、正義という内
面の強調によってキャラクターを保つ猿飛佐助とは異なり、「呪術的」な忍者
のイメージを遠ざけようとする傾向があると、そこから「ジライヤ」は「低俗
」「荒唐無稽」「子供向け」なものであるとして弾かれざるを得ないのです。
西村安弘が、「ジライヤ」を主役に据えた作品は時代が下ると消えて行った、
と分析していますが、昭和の忍者ブームは「妖術的な」忍術を「ネガティブな
」ものとして排除する傾向がありました。西村も昭和三〇年代の第二次忍者ブ
ームの到来について、「一言でまとめてしまえば、この第二次忍者映画ブーム
の基礎には、唯物論的忍者観の出現があった。」と指摘しています。
大まかに忍者イメージの変遷についていえば、総合的に見て忍者は、盗賊か
ら正義のヒーローへと変化しています。また、その過程で、幻術・妖術は忍術
に統合された、と考えられるでしょう。それには忍者が登場するメディアの(
絵草子・草双紙・読本→小説・映画→漫画・ドラマのような)文章から映像と
いった変化も関係していると思われます。
中島慧
主な参考文献
西村安弘「消えた児雷也」『芸術世界』14、2008年、1∼6p。