花菫茶話  第十二話

うな重のイラスト

 

花菫茶話  第十二話「昭和の街」   三潴正道

 

 私が育ったのは世田谷の経堂、家から駅へ向かう商店街は狭い道で、バスが来ると必死に道端に身を寄せないと歩けない。今も姉夫婦が住んでいるので、折々通るが、ずいぶん様変わりした。昔あった店がすっかり姿を消している。


  昭和がレトロの仲間入りをした昨今、当たり前の思い出が孫には「へー」の対象になる。

 

 まず思い出すのが畳屋。水を口に含んでぷーっと畳に吹きかけ、長く太い針を畳に通し、肘でグイっと締める。出来上がると、大きな包丁らしきもので、はみ出た藁をスパッと切り落とす。見事な業に、ランドセルをしょってしばし呆然。

 

 最近では電動具で釘を打っている大工さんも、その頃は、腰にくぎ袋をぶら下げ、何本かまとめて口に含んでは、一本ずつ打っていた。長い釘をリズム良く数回でまっすぐ打ち込む技術は大したもの。それにしても、うっかり飲み込んだらどうするのだろう、と小学生はドキドキだ。


 見とれると言えば、ウナギを捌く魚屋さんの手さばきも見事。押さえつけ、出刃包丁で釘を叩きながら頭をまな板に打ち付けると、一気にサーっと捌く。

 

 幸運はカニをばらす時。じっと立ってみていると、足の細い部分に包丁を入れて、「ホイ」っと食べさせてくれる。おこぼれちょうだいである。横では猫も「ニャー」とおねだり。

 

 魚屋でもう一つかっこいいのは客が注文したとき。経木をくるっと漏斗の形にして注文の品を落としこむと、ひもでつるしてある新聞紙をさっと一枚とり、ぐるっと巻いて「お待ちどお!」と渡す。

 わずか数秒だ。肉屋さんは何がかっこいいって、包丁を研ぐ時。砥石は使わないで、丸い棒に両面を互い違いに擦って研ぐ。そう、シャッ、シャッとね。憧れた。


 蕎麦屋のお兄さんは大したもの。いつも10段以上重ねたそばを肩に担いで自転車に乗り配達に行く。こけたところは一度も見たことがない。大みそかともなれば、その高さは10段どころではない。でも、当時のソバ屋なら当たり前の業だ。


 流しの商売も少なくない。夏には風鈴屋と「きんぎょー、きんぎょ」の金魚売り。「たけやーさおだけ」は竹売りで、物干し竿を売る。ラッパを鳴らしながら「とーうい、とーふ」は豆腐屋さん。そのほか、包丁研ぎも来るし、茨城から野菜を売りに来る担ぎ屋のおばあさんも。そうそう、汲み取り屋さんも来る。近所のお百姓さんが、下肥にするから、とお金を払って汲んでいってくれる。


 子供たちに人気はポンポン菓子。ポップコーンのお米版で、その声を聴くと、母にせがんで米を一つかみもらい、すっ飛んでいく。火の上でぐるぐる回っている鉄製のひょうたん型の筒に入れてもらうと、ほどなくして「ポン」と音がして出来上がりだ。「玄米パンのほやほやー」もやってくる。今でいうお米パンの類だが、ホカホカと美味しい。

 

 「やーきいも、石やーきいも」はご存じ焼き芋屋。でも、店で売るつぼ焼きは最近見かけなくなった。ナンを作るような壺の内側に、サツマイモを吊り下げて焼いている。

 

 そして極めつけは紙芝居。駄菓子を舐めながら、月光仮面に赤胴鈴之助、鞍馬天狗、広場は子供でいっぱいだ。


  「あっ、カラスが鳴いた。もう帰らなくちゃ」、昭和の夕焼けが広がっていた。

 

花菫茶話  第十一話

古本屋のイラスト

花菫茶話  第十一話 「神田古書街と私」  三潴正道

 大学生の頃、小学生の家庭教師をしていた。月末になって1万円の月謝が手に入ると、酒代に消えないうちにと、お札一枚握りしめ、神田に向かった。


 コースは定番で、まず内山書店と東方書店に行く。それから一誠堂など数軒の古書店を回り、時には、やや離れたところにある台湾書籍販売の海風書店にいき、さらには代々木にある東豊書店にも足を延ばす。


 貴重な一万円だから、手当たり次第には使えない。店の隅々まで見て回り、目次を開き、ためつすがめつして買う本を決めるというのがお定まりのルーティーンになっていたが、これが思わぬ成果を生んだ。

 

 買えなくても、毎月見ることで書架に並ぶ本がすっかり頭に入った。例えば、中国文学史や文法研究にはどんな本があるか、著者は誰か、ほぼ完璧に覚えることができた。また、新しく入った本がどれであるかも瞬時に見分けられるようになった。

 

 古本屋での醍醐味は「掘り出し物」に出くわすこと。

 

 内山書店の書架の下の引き戸から、中印国境紛争に関する本を見つけた。マクマホンラインの精密な地図が何十枚も添えられていたが、本代は二束三文だった。

 

 苦い思い出もある。チベット潜入の先駆者、河口慧海肉筆の日記集が風呂敷包みになって、本棚の最上部に置かれていた。店主に値段を聞くと、なんと当時のお金で20万円という。とても手が出ない。

 

 実家にすっ飛んで帰り、父に懇願して金を工面し、翌日、本屋へすっ飛んだ。すると店主が「あの後、売れてしまったよ」と嘯く。埃をかぶって長い間置かれていた本が急に売れるはずがない。私が騒いだので、店主が価値に気づき、隠したに違いない。掘り出し物をしてもその場で喜ぶのは禁物だ。

 

 本屋巡りの昼食はおにぎり。朝、大学の食堂で大きな塩結びを作り、昼になったら、駿河台下の交差点の片隅に座ってほおばる。

 

 とはいえ、本を買った後には至福の時が待っている。あらかじめ残しておいたささやかな酒代を手に、うまいビールと生ハムでその名が知られていたランチョンへ行く。店主は生ビールを注ぐときの泡立て方が神業で、新聞でも紹介されたほど。買ったばかりの本を眺めながらのひと時は何物にも代えがたかった。


 数年前、「東豊書店が店を閉じる」と而立会員の芦田さんから聞き、一緒に出かけた。

 店主は代替わりした老夫婦だったが、思い出話に花が咲いた。私以外にも、白髪の顧客たちがちらほら集まっていた。

 

 先代は太っ腹な人情家で、貧乏な院生や若手研究者には何冊でも貸し売りしてくれる。支払い期限もない。「出世払いでよい」とのこと。文字通り貧乏学生だった私には本当にありがたかった。多くの研究者がその恩恵にあずかったはずである。

 

 神田の書店街もずいぶん様変わりした。古本の値段が当時より格段に安いのには悲喜交々である。ネット時代の影響だろうが、わたしには、あの買った本を撫でながらランチョンで過ごした二時間が今も忘れられない。

 

 

Netflixで不思議なお話を観た

暑いので外に行きたくない。こんな日はネトフリですよね、というわけで、今日は『繋がれる魂』を観ました。日本語字幕はないんだけれど、題名だけ日本語になっている、こういうのが増えてきましたね。

中国語でもわかっちゃうという人が、日本にも増えてきたからかもしれないですね。

 

このイラストは、映画とは何の関係もありません

 

複雑な話だから、うまく要約できないが、ポイントは以下の通りです。

 

時代は近未来、ある科学者が、RNAを脳内に注入して脳内の腫瘍を抑える画期的な療法を開発した。RNA。コロナワクチンの文脈で人口に膾炙しはしたが、私にはいまいちよくわかっていないアレです。

 

この療法を、極限まで拡大した上で実用に供すると、

 

①ある人の脳の構造をシミュレートし、同時にRNAを抽出する? のかな?

②そのRNAを別の人の脳に注入。用具を観ていると、どうも脳の正しい位置に正しいRNAを注入することが肝心らしい

③するとあら不思議、注入された人がRNAを提供した人と同じ人になる。もちろん、元の脳細胞もあるから人格も一部残るのだが、大体において同一人物になる。つまり、魂が乗り移った状態になる

④RNA提供者が死んでも、被提供者が生きていれば、それは提供者が生きているのと同じこと…なのかな? という問いを残して映画は終わる

 

大変あやふやですが、そういう感じです。

 

張震が演ずる末期がんの検事が、大企業のオーナー殺人事件を追究するうちに、この驚くべき療法に出会う。どうする、張震。終盤では、彼の脳にも転移が襲いかかり、命は風前の灯火に。

 

張震が、病状がひどくなるに従い急速にやつれていく様子が怖い。どうやってそんなに痩せたのでしょうか。そんなことして体に悪くないのかしら。

 

台湾の作品には、全く何の救いもないトラウマものも多いですが、筆者個人の感覚では、この作品にはちょっと救いがあった気がします。

 

結果的に、ある若い女性に複数の人のRNAが注入されてしまうのですが、最終的にこの人は、元々の自分・提供者その1・提供者その2、そして、提供者その1をめっちゃ呪って自殺した人の魂も、RNAなしで(だと思う。これは明らかに執念の力)この若い女性に宿るのです。

 

執念にそんな力があるのなら、RNAはなくていいのでは? とか思ってはいけないのでしょう。

 

それとも、恨みを呑んで死んだ母の心をくんだ若い女性が、自らの「母性」から、死んだ女性の息子に向かって「よくやったね」とか、「ママは天上界に生まれ変わったよ、そこであなたを待ってる」とか意識的に言っているのだとしたら、この若い女性はたいした人ですよ!

 

 

 

花菫茶話 第十話

今日は、印象深い恩師への思いから、平和への提言です。

プリントを配る先生のイラスト(男性)

 

花菫茶話  第十話「真木先生」 三潴正道

  真木先生は中学校の理科の先生だった 。いつも片足を引きずって笑顔で話してくれる。


 どんな話って?先生はインパ ール作戦でジャングルをさまよって九死に一生を得た。その時の怪我が足に残り、歩行が不自由だ。


 当時の悲惨な有様を先生はいつも訥々と語った。人の命がどれだけ粗末に扱われたか、死体がいかに無残か、先生はまさに戦争の語り部だった。


 しばらくして、先生が学校を去ることを知った。
「なぜ?」「どこに行くの?」「足が不自由なのに」
とみんなが心配した。

 

 誰かが言った。「先生、青ヶ島に行くんだって!」「青ヶ島?どこにあるの?」 
青ヶ島は伊豆諸島の最南端にあり、日本最小の自治体だそうだ。聞けば、先生のなり手がいないので応募されたとか。先生は生涯独身を通されたので、一人で着任したという。


 その後、先生はどうされたのだろう。 
 50歳になった時、卒業以来の同期会が開催された。その時初めて先生の消息が分かった。 一人暮らしだった先生は、ある日、島の人に亡くなっているのが発見されたという。私は知らなかった自分を密かに恥じた。 


 恰幅が良く、太い静かな声で、ゆっくり語る先生のお姿とその温顔が今もありありと脳裏に浮かぶ。たった一年間の授業だったが、いつまでも私の心に残っていた。


  高校に入学したころ、時まさにベトナム戦争の時代で、アメリカでも日本でも反戦フォークが盛んに歌われた。私も新宿の歌声喫茶「ともしび」に通っては反戦歌を口ずさんだ。 


 「もう泣かないで、坊や、あなたは強い子でしょ、もう泣かないで坊や、ママはそばにいるの。あなたのパパは強かった、とてもやさしかった。だけど今は遠い、遠いところにいるの」という歌い出し、そして「あなたが大きくなったら、愛する人に二度と、歌わせないで頂戴、ママの子守唄を」で終わる。時々ギターを片手に口ずさむと、今でも目頭が熱くなる。


  防衛論議が勇ましい。でも、どうすれば愛する人に二度とママの子守唄を歌わせないことができるか、それは、ウクライナのように武器を手に取らざるを得なくなってからでは遅い 。その前に一人一人ができることがもっとたくさんある。


 真木先生の後ろ姿がそれを教えてくださった気がする。

花菫茶話 第九話

今日は微笑ましい初恋、そして暗転する心象風景の物語です。

並木道のイラスト(緑)

花菫茶話  第九話 「新宿御苑の心象風景」    三潴正道

 高校は高田馬場にあった。当時サッカー部のマネージャーをしていた彼女の家は渋谷、我が家は世田谷にある。


  下校時に校門で待ち合わせ、環状四号線に沿って歩いた。途中には新宿御苑があり、さらに明治神宮もある。なんともありがたいコースだ。


  ある秋の雨上がり、二人で新宿御苑を歩いていると、遊歩道の真ん中に大きな水たまりがある。避けて通るには縁石の上を歩かなければならない。


  それまで、手を握ったことはなかったが、勇気を出して手を差し伸べた。彼女の柔らかく温かい指先が私の指にそっと乗せられた。私は水たまりの中を10歩ほど歩いて、それから手を離した。手に汗がにじんだ。


  それからしばらく、どうしても手が洗えなかった。そう、大切な何かが消えてしまうような気がしたのだ。

 


 数年後、私は新宿の街にいた。空っ風が吹きすさぶ朝だった。埃りを巻き上げてビルの谷間を吹き抜ける。


  行きたい大学の受験を親に許してもらえず、反発して新宿にのめり込み、すさんだ生活をしていた。


  一夜を新宿で明かし、寒さにコートの襟を立てながら、一人うつむいて歩いていた。子犬が残飯を漁っている。急に蹴飛ばしてやりたい気持ちになった。


  「お前、俺と同じだな……」、そう思ってやめた。


  無性に新宿御苑に行きたくなり、開園時間を待って入園した。朝の御苑には誰もいない。おおきな枯葉がつむじ風に舞い上がって、カサカサ音を立てて落ちてくる。


  ぶらぶらしていると、知らぬ間に園内の西洋庭園に来ていた。


  私は顔を挙げて、立ち並ぶ木々を仰いだ。プラタナスの巨木が聳え、整然と立ち並んでいる。大地に根を張り、すっかり葉を落として黒々としたその肌はどっしりと微動だにしない。


  私は全身に衝撃を受けて立ちすくんだ。堂々とした命の営みの前では、空っ風もつむじ風も露払いにしか過ぎない。


  その時、不意に「生きよう」という思いがこみ上げた。「生きてみよう」と。三か月ほど、私の頭の中でぐるぐる回っていたある行為への思いがすっと消え、「底を打った」気がした。
  
  後年、ある写真誌で偶然、同じ季節に同じアングルから撮った西洋庭園の写真を見つけた。説明は何も書いてなかったが、私には十分だった。この写真家も、きっと私と同じ何かを感じたのだろう。


  木には精霊が宿るのだろうか。パワースポットばやりのこの頃だが、冬の新宿御苑は確かに私にとってパワースポットだったのかもしれない。

 

花菫茶話 第八話「金魚印米」

今日は、今の季節にぴったり、梅雨時の思い出です。

田植えをするお百姓さんのイラスト

 

花菫茶話 第八話「金魚印米」

  ある年の梅雨頃、近くの田んぼのあぜを歩いていると、道端に一束の稲の苗が落ちていた。辺りを見回すと、お百姓さんが土手に腰を掛け、タバコをふかしている。


  「ここに苗が落ちていますよ」
  声をかけると、
  「ああ、それは余ったから捨てたんだよ」
  と言う。私は咄嗟に聞いた。
  「えっ、もういらないんですか。じゃあ、もらってもいいですか」
  「ああ、持ってきな」


   私は苗を片手に家路を急いだ。さてどうしようかと思案に暮れながら……。


  かえって家内に相談すると、余った発泡スチロールの箱があると言う。それはいい、とすぐさま準備に取り掛かり、庭の畑の土を入れ、水を張ってから田植えをした。


  翌日、様子を見ると、元気に陽射しを受けている。ほっとしたが、驚いたのは水の減る速さだ。稲の蒸散作用がこんなに活発だとは想像外で、一日でも水の補給を忘れると、もう土が見えてくる。


  しばらくして新たな問題が出来した。ボウフラが発生し始めたのである。薬をまくわけにもいかない。思案の挙句、そうだ、と金魚を買いに行き、三匹ほど赤い金魚を入れてみた。


  結果は大成功、二匹は途中で死んだが、残った一匹が元気に泳ぎ回り、せっせとボウフラを食べてくれた。金太郎はけっこう野生児で、金魚のくせに、足音が聞こえるとさっと稲の根元に隠れ込む。

金魚のイラスト(魚)
  合鴨農法ならぬ合金農法は、フンが栄養にもなったようで、稲はすくすくと育ち、秋にはたわわに実って、黄金色の穂が頭を垂れた。


  さあ、収穫だ!


  サクサクと刈り入れた稲はそのまま軒下に吊るして天日干しにした。


  そこで新たな問題が生じた。どうやって精米しようか。何せ収穫量はどんぶりいっぱいだけ、お米屋さんに頼むのはいかにも恥ずかしい。相談して一計を案じた。


  私がすり鉢でもみ殻を優しく擦り落とし、横から家内がドライヤーでそれを吹き飛ばす。この方法はことのほかうまくいき、見事に一椀のお米が取れた。 


  いよいよ試食会。たった一椀のお米を家族五人で一口ずつ食べ、素直に驚いた。
  「天日干しのお米ってこんなにすごいんだ!」


  自分が作ったから、という点を差し引いても実に美味しい新米の味だった。


  毎年苗が手に入る偶然はない。「金魚印米」はこの年だけの出来事だったが、我

が家の大事な思い出になった。


  金太郎はどうしたって? この最大の功労者は、大学構内の池で余生を全うしたことでしょう。ありがとう、金太郎!