花菫茶話 第十話

今日は、印象深い恩師への思いから、平和への提言です。

プリントを配る先生のイラスト(男性)

 

花菫茶話  第十話「真木先生」 三潴正道

  真木先生は中学校の理科の先生だった 。いつも片足を引きずって笑顔で話してくれる。


 どんな話って?先生はインパ ール作戦でジャングルをさまよって九死に一生を得た。その時の怪我が足に残り、歩行が不自由だ。


 当時の悲惨な有様を先生はいつも訥々と語った。人の命がどれだけ粗末に扱われたか、死体がいかに無残か、先生はまさに戦争の語り部だった。


 しばらくして、先生が学校を去ることを知った。
「なぜ?」「どこに行くの?」「足が不自由なのに」
とみんなが心配した。

 

 誰かが言った。「先生、青ヶ島に行くんだって!」「青ヶ島?どこにあるの?」 
青ヶ島は伊豆諸島の最南端にあり、日本最小の自治体だそうだ。聞けば、先生のなり手がいないので応募されたとか。先生は生涯独身を通されたので、一人で着任したという。


 その後、先生はどうされたのだろう。 
 50歳になった時、卒業以来の同期会が開催された。その時初めて先生の消息が分かった。 一人暮らしだった先生は、ある日、島の人に亡くなっているのが発見されたという。私は知らなかった自分を密かに恥じた。 


 恰幅が良く、太い静かな声で、ゆっくり語る先生のお姿とその温顔が今もありありと脳裏に浮かぶ。たった一年間の授業だったが、いつまでも私の心に残っていた。


  高校に入学したころ、時まさにベトナム戦争の時代で、アメリカでも日本でも反戦フォークが盛んに歌われた。私も新宿の歌声喫茶「ともしび」に通っては反戦歌を口ずさんだ。 


 「もう泣かないで、坊や、あなたは強い子でしょ、もう泣かないで坊や、ママはそばにいるの。あなたのパパは強かった、とてもやさしかった。だけど今は遠い、遠いところにいるの」という歌い出し、そして「あなたが大きくなったら、愛する人に二度と、歌わせないで頂戴、ママの子守唄を」で終わる。時々ギターを片手に口ずさむと、今でも目頭が熱くなる。


  防衛論議が勇ましい。でも、どうすれば愛する人に二度とママの子守唄を歌わせないことができるか、それは、ウクライナのように武器を手に取らざるを得なくなってからでは遅い 。その前に一人一人ができることがもっとたくさんある。


 真木先生の後ろ姿がそれを教えてくださった気がする。

花菫茶話 第九話

今日は微笑ましい初恋、そして暗転する心象風景の物語です。

並木道のイラスト(緑)

花菫茶話  第九話 「新宿御苑の心象風景」    三潴正道

 高校は高田馬場にあった。当時サッカー部のマネージャーをしていた彼女の家は渋谷、我が家は世田谷にある。


  下校時に校門で待ち合わせ、環状四号線に沿って歩いた。途中には新宿御苑があり、さらに明治神宮もある。なんともありがたいコースだ。


  ある秋の雨上がり、二人で新宿御苑を歩いていると、遊歩道の真ん中に大きな水たまりがある。避けて通るには縁石の上を歩かなければならない。


  それまで、手を握ったことはなかったが、勇気を出して手を差し伸べた。彼女の柔らかく温かい指先が私の指にそっと乗せられた。私は水たまりの中を10歩ほど歩いて、それから手を離した。手に汗がにじんだ。


  それからしばらく、どうしても手が洗えなかった。そう、大切な何かが消えてしまうような気がしたのだ。

 


 数年後、私は新宿の街にいた。空っ風が吹きすさぶ朝だった。埃りを巻き上げてビルの谷間を吹き抜ける。


  行きたい大学の受験を親に許してもらえず、反発して新宿にのめり込み、すさんだ生活をしていた。


  一夜を新宿で明かし、寒さにコートの襟を立てながら、一人うつむいて歩いていた。子犬が残飯を漁っている。急に蹴飛ばしてやりたい気持ちになった。


  「お前、俺と同じだな……」、そう思ってやめた。


  無性に新宿御苑に行きたくなり、開園時間を待って入園した。朝の御苑には誰もいない。おおきな枯葉がつむじ風に舞い上がって、カサカサ音を立てて落ちてくる。


  ぶらぶらしていると、知らぬ間に園内の西洋庭園に来ていた。


  私は顔を挙げて、立ち並ぶ木々を仰いだ。プラタナスの巨木が聳え、整然と立ち並んでいる。大地に根を張り、すっかり葉を落として黒々としたその肌はどっしりと微動だにしない。


  私は全身に衝撃を受けて立ちすくんだ。堂々とした命の営みの前では、空っ風もつむじ風も露払いにしか過ぎない。


  その時、不意に「生きよう」という思いがこみ上げた。「生きてみよう」と。三か月ほど、私の頭の中でぐるぐる回っていたある行為への思いがすっと消え、「底を打った」気がした。
  
  後年、ある写真誌で偶然、同じ季節に同じアングルから撮った西洋庭園の写真を見つけた。説明は何も書いてなかったが、私には十分だった。この写真家も、きっと私と同じ何かを感じたのだろう。


  木には精霊が宿るのだろうか。パワースポットばやりのこの頃だが、冬の新宿御苑は確かに私にとってパワースポットだったのかもしれない。

 

花菫茶話 第八話「金魚印米」

今日は、今の季節にぴったり、梅雨時の思い出です。

田植えをするお百姓さんのイラスト

 

花菫茶話 第八話「金魚印米」

  ある年の梅雨頃、近くの田んぼのあぜを歩いていると、道端に一束の稲の苗が落ちていた。辺りを見回すと、お百姓さんが土手に腰を掛け、タバコをふかしている。


  「ここに苗が落ちていますよ」
  声をかけると、
  「ああ、それは余ったから捨てたんだよ」
  と言う。私は咄嗟に聞いた。
  「えっ、もういらないんですか。じゃあ、もらってもいいですか」
  「ああ、持ってきな」


   私は苗を片手に家路を急いだ。さてどうしようかと思案に暮れながら……。


  かえって家内に相談すると、余った発泡スチロールの箱があると言う。それはいい、とすぐさま準備に取り掛かり、庭の畑の土を入れ、水を張ってから田植えをした。


  翌日、様子を見ると、元気に陽射しを受けている。ほっとしたが、驚いたのは水の減る速さだ。稲の蒸散作用がこんなに活発だとは想像外で、一日でも水の補給を忘れると、もう土が見えてくる。


  しばらくして新たな問題が出来した。ボウフラが発生し始めたのである。薬をまくわけにもいかない。思案の挙句、そうだ、と金魚を買いに行き、三匹ほど赤い金魚を入れてみた。


  結果は大成功、二匹は途中で死んだが、残った一匹が元気に泳ぎ回り、せっせとボウフラを食べてくれた。金太郎はけっこう野生児で、金魚のくせに、足音が聞こえるとさっと稲の根元に隠れ込む。

金魚のイラスト(魚)
  合鴨農法ならぬ合金農法は、フンが栄養にもなったようで、稲はすくすくと育ち、秋にはたわわに実って、黄金色の穂が頭を垂れた。


  さあ、収穫だ!


  サクサクと刈り入れた稲はそのまま軒下に吊るして天日干しにした。


  そこで新たな問題が生じた。どうやって精米しようか。何せ収穫量はどんぶりいっぱいだけ、お米屋さんに頼むのはいかにも恥ずかしい。相談して一計を案じた。


  私がすり鉢でもみ殻を優しく擦り落とし、横から家内がドライヤーでそれを吹き飛ばす。この方法はことのほかうまくいき、見事に一椀のお米が取れた。 


  いよいよ試食会。たった一椀のお米を家族五人で一口ずつ食べ、素直に驚いた。
  「天日干しのお米ってこんなにすごいんだ!」


  自分が作ったから、という点を差し引いても実に美味しい新米の味だった。


  毎年苗が手に入る偶然はない。「金魚印米」はこの年だけの出来事だったが、我

が家の大事な思い出になった。


  金太郎はどうしたって? この最大の功労者は、大学構内の池で余生を全うしたことでしょう。ありがとう、金太郎!

花菫茶話 第七話

今日はコロッケのお話です。肉屋さんのコロッケ、おいしいですよね。

学生にコロッケを買って食べさせるくだりがありますが、

私が学生だった頃は三潴先生もまだお若かったので、かんぴょう巻きを一本だけ買ってくださって、四、五人が一口ずつ分けて食べるというのが習慣でした。

おうちではかわいいお子さんたちが、お父ちゃまの帰りを待っていらっしゃいました。

料理の「揚げる」のイラスト(コロッケ)

 

花菫茶話 第七話「温かいコロッケ」    三潴正道

 

 高校ではサッカー部に入った。そのころサッカーはまだマイナーだったが、ドイツからクラマー氏がやってきて日本のサッカー界に近代サッカーを教え込んだ。漸く釜本や杉山が活躍し出したころである。


 北風に凍えそうな冬の日、練習が終わると、サッカーパンツをはいたまま地べたに座り、友達と凍えながらボールを磨いた。


 漸く片付けを済ませ、帰途に就く。寒いし、腹ペコだ。幸い、高田馬場に向かう途中、神社の前に一軒の肉屋があった。コロッケを売っている。


「おばちゃん、コロッケ2個」
「アレアレ、練習の帰りかい。遅くまでご苦労さん。そう、新しいのを揚げよう」


 そう言うと、手早くコロッケを揚げ、ソースをかけて渡してくれた。
  アツアツのコロッケをフーフーと食べた。ソースの香りが体に染み渡った、その美味しかったこと。


 結婚して子供がまだ幼かったころ、夕方になるとよく子供を自転車に乗せ、近くのマーケットへ買い物に行った。買い物のたびに子供たちはしきりに「一緒につれてって」とせがむ。それには下心があるのだ。 


 マーケットの肉屋さんとは大の仲良し、そこのアツアツのコロッケやメンチカツが何ともうまい。私が行くと、おばさんは待ってましたと店の横のテーブルにすぐティッシュの箱を置き、私がボトルキープしている中濃ソースを置いてくれる。そこで食べる揚げたては絶品だ。


 いつしかこの秘密が子供たちにばれてしまった。子供たちには、「今日コロッケを食べたのはお母ちゃまに内緒だよ」とくれぐれも念を押すのだが、後で聞くと、家に帰った子供たちはすぐ家内のところに行き、


「あのね、あのね、お父ちゃまとコロッケ食べたの。でも、これは内緒なの」とソースの匂いをさせながら報告したそうである。


 50歳も過ぎたころ、東武練馬にある大東文化大学に出講したことがあった。5時間目だが、幸い十人余りの学生が履修してくれた。授業が終われば辺りは夕暮れ、学生たちはお腹がペコペコだ。


  幸いなことに、駅のすぐ近くに肉屋があった。おいしいコロッケを売っていて、夕暮れ時は客が絶えない。


 いつしか、そこでもソースをボトルキープして、毎回学生たちを5、6人連れ、揚げたてを立ち食いするのが通例となった。コロッケを食べながら様々な話に花を咲かせる。客のおばさんたちもニコニコと見守ってくれていた。


  体を温めてくれ、心も温めてくれる。まさにコロッケは「ソウルフード」だった。

花菫茶話  第六話

「花菫茶話」、今日も幼き日の回想です。

玉子焼き用フライパンのイラスト

 

花菫茶話  第六話「ブタもおだてりゃ木に登る」 

                   三潴正道               

 

 生来のお調子者だったから、おだてに乗りやすい。しかし、それが思わぬ好結果を生むこともある。


 祖母は卵焼きが大好きだった。毎朝必ず食べる。母にとってはそれが悩みの種。炊飯器もないころ、朝の台所は家族7人分の食事の用意に忙しい。


 ある日、母が卵焼きを作っている姿を見た私は、「僕もやってみたい」、とせがんだ。まだ8歳くらいだった。


 母は「しめた!」と思ったに違いない。早速教えて私に作らせ、祖母に言った。
「これは正道が焼いたんですよ!」


 孫が焼いた卵焼きだ。下手糞でも褒めるに決まっている。
「おやまあ、柔らくておいしいこと。よくできているねえ」


 ブタもおだてりゃ木に登る。私は有頂天になって喜んだ。
「明日から、おばあさまの卵焼きは僕が作る!」
 母も有頂天になって喜んだ。


  すっかり料理に興味を持った私は、包丁も使ってみたくなり、お味噌汁に入れる大根を千切りにしている母を見て、「僕がやる!」とせがんだ。


 二匹目の泥鰌にほくそ笑んだ母は、また「しめた!」とばかりにわたしの包丁遣いをほめた。それからは野菜を刻むことにのめり込んだ。


 年の暮れ、お節料理を作る頃の台所は大忙し。黒豆を煮、田作りを作り、きんとんを作る。


 我が家の正月は、7人家族に加え、三が日は年賀の客が絶えない。みんなが上がりこむから、おもてなしが大変で、料理の数や量は馬鹿にならない。


 そこで一番の悩みの種がなますづくり。大きな三浦大根一本と、細長くかたい、60センチはあろうというニンジンを千切りにしなければならない。いつしかその役目は私に割り振られた。今でも、年の暮れといえば、大根と人参を思い出す。


 小学5年生の時、家庭科の授業が始まった。小太りの優しい馬場先生が担当だった。先生の下ごしらえを偶然目にした私がしゃしゃり出ると、先生は大喜びでたいそう褒めてくれ、私を助手に任命した。それからは家庭科が一番好きな科目になった。


 スウェーデン刺繍やフランス刺繍も習った。家庭科好きの延長でこれにものめり込んだ。


 「母さんが夜なべをして、手袋編んでくれた」という歌がはやったころ、「手袋を編もう」と思い立って、母に編み道具を買ってくれ、とせがんだ。しかし、どういうわけか、これはいい顔をされず、実現しなかった。今も毛糸編みをしている人を見ると、あの時覚えていれば、と残念になる。


 のめり込みやすく、凝り性の私に、母は歯止めをかけたかったのかもしれない。

久しぶりに本の話を

うつ伏せで本を読む人のイラスト(女性)

ずっと書こうと思ってすっかり温めてしまっていました。

 

最近、角川ソフィア文庫の「ビギナーズクラシックス」シリーズに、割に新しい中国文学が入っています。

 

特に私としては、『紅楼夢』がはいっているのが嬉しいです。『紅楼夢』はご存知の通りむちゃくちゃ長い話ですし、前世紀には全訳といえば幸田露伴というわけで、大変読みづらかったのです。

 

ソフィア文庫のは、たんなる抄訳ではなく、船越達志によって重要場面が選ばれていて、詳しい説明・考察がついているので、大変読みやすい。

 

アマゾンで見たら、『紅楼夢』『水滸伝』『西遊記』とシリーズで出ているんですね。『金瓶梅』も出るかな? 期待です。

2026年春の総会・大会が開かれました

 

大会発表

5月某日、本会の総会と大会が開かれました。

 

総会では、新しい理事が承認され、新体制が発足しました。がんばれー。

 

さて、午後は恒例のワークショップと研究発表です。

 

ワークショップでは、本会が展開しようとしている論説体中国語eラーニングシステムをどのように稼働させていくかについての実践。採点・添削の訓練でした。

 

研究発表は、「中国古典詩文の読みかた」でした。

 

私たちは普段現代中国語を日本語に訳しているわけですが、現代中国語の中にも多くの、いわゆる漢文脈が現れます。こういうところの訳し方はとても難しい!

 

発表者に、「その訳し方については、たぶん一生悩むと思います」とまとめられて、「そうですよねー」と、ほろ苦い気持ちをかみしめました。