「忍者キャラクター」の原型たち②

ジライヤ―忍者になった「妖術」使い
「ジライヤ」は石川五右衛門とは異なって、完全に架空のキャラクターで「
妖術使い」ものに位置付けられます。現在の忍者の「印を結び呪文を唱えドロ
ン」といったイメージはジライヤによって出来上がりました。
江戸末期に妖術師として読本や歌舞伎に登場したジライヤは、簡単に言えば
「悪の主人公」です。盗賊が蝦蟇の仙人から蝦蟇の妖術を伝授され妖術使いと
なって活躍します。ジライヤは後に忍者となりましたが、そこには近代になっ
て流行した映画(活動写真)が大きく影響しています。
例えば、川口素生はジライヤについて、忍者が術を繰り出す姿と酷似してい
たことから、自雷也(ジライヤ)を忍者と捉える観客、読者も少なくなかった
だろう、と推測し、さらに近現代の映画、テレビ番組では自雷也を忍者として
描く傾向が強い、と言っています。
さらに西村安弘も「旧劇 児雷也(豪傑児雷也)」の内容から、止め写しと
いう置換トリックによって隠遁の術や蝦蟇への変身が描かれたことが確認でき
る、として「歌舞伎舞台のセリやドンデンで演出していた児雷也の隠遁の術や
変身(速変わり)を、映画的なトリックに移し変えた」と分析しています。こ
のような点から、「映画ジライヤ」の「忍術」と「歌舞伎ジライヤ」の「妖術
」は互換性があり、視聴者・観客にとって重要なのは視覚的な演出(隠遁や変
身など)であったので、その根拠が「妖術」にあっても「忍術」にあっても関
係なく、両者は容易に混同した、と考えられます。
また、そこには忍者映画の主な観客であった子どもの存在が欠かせません。
子どもは忍者映画のトリックによる忍術(妖術)の演出、印を結んで呪文を唱
えるとドロンと変身したり消えたりする、といった演出を好みました。ここか
ら、呪術性の強い「忍者ジライヤ」の視覚的イメージが定着していったのです
。
しかしジライヤは従来の妖術使いものの流れにあります。そのため、ジライ
ヤが忍者と見なされても、ジライヤというキャラクターを「ジライヤらしく」
描写しようとするならば、そこから「妖術的な」要素を外すことはできないで
しょう。ストーリーに重心を置いて動かせる石川五右衛門や猿飛佐助とは異な
り、「ジライヤ」の中心は「妖術的な」忍術の使用にある、と考えられます。
そのために、時代性や社会性を反映する忍者には「ジライヤ」というキャラク
ターは不向きであった、と想定できます。ゆえに、ジライヤを主役とするよう
な忍者ものは時代の好みが変化するとともに無くなっていきました。
中島慧
主な参考文献
『【決定版】図説・忍者と忍術忍 器・奥義・秘伝集』歴史群像シリーズ特別
編集、学研、2007年。
西村安弘「消えた児雷也」『芸術世界』14、2008年、1∼6p。