「花菫茶話」第四話「茶碗の一杯」

「花菫茶話」今回も、若き日の回想です。

先生のお父上のことを、私たちは「オヤジ先生」と呼んでいました。とてもダンディーで、すてきな方でした。

 

綺麗なお茶碗のイラスト

「花菫茶話」第四話「茶碗の一杯」 三潴正道

 

我が家は七人家族、四人兄弟だった。大学の教師とはいえ、父の給与はたかが知れたもの。夏休みには予備校の教師をし、日頃は授業から帰ると、汲み取った自宅の下肥を自転車で運び、近所に借りた猫の額ほどの土地を耕して家族の野菜を作っていた。


  そんな事情から、私も高校に入るとバイトを始めた。
  新聞配達はしんどかった。午前三時には起きて近くの駅から配達店に新聞を運ぶ。広告を挟む作業を二時間続け、その後、自転車に積んで200部ほど配る。真冬は実に寒かったし四階建てのアパートの階段は文字通り筋トレだった。配り終わると帰宅し、朝食を掻き込み、電車で高校へ行く。


 配達ルートに一人暮らしのおばあさんがいた。新聞は玄関の中に、と言う。玄関を開けると、毎日、正座したおばあさんがお茶とお菓子をお盆にのせて待っていた。
「ご苦労様ね。さあさ、ちょっと休んでいきなさいな」


 話によれば、子供たちは独立し、ご主人にも先立たれ、毎日私に会うのが唯一の楽しみ、という。気持ちは急くものの、三分間、と心に決めてご馳走になった。


 電柱の付け替え工事もなかなかだった。東京オリンピックの頃は、木の電柱をコンクリートに変える日雇いが多かった。夜中の2:00から朝の5:00までが勝負だ。しかし、16歳の私がツルハシでアスファルトを剝がそうとしても、カチンと跳ね返されるだけ。


  そんな時、青森から出稼ぎに来ていたおじさんが声をかけた。
「坊や、そんなに詰めたら体を壊すぞ。こっちへ来て一杯やんな」。
そういうと茶碗酒を勧めてくれた。焚火にあたり、一杯やりながら(未成年!?)、いろいろな話を聞かせてくれる。人情がいっぱい詰まった、素朴な話にいつしか引き込まれ、心が和んだ。人は見かけではない、そう思った。


 一杯のお茶に一杯のお酒、味は違ったが、若い私の体と心に同じ何かがしみ込んだ。