
風雨陽光さだめない日々、いかがお過ごしでしょうか。
本ブログの連載、「道教と忍者」をお楽しみいただけていることと思います。
最近日本ではほぼ見かけませんが、半世紀ほど前までは、忍者小説、忍者映画、忍者ドラマ、忍者漫画などの名作が目白押しでした。
秘伝書を読んで修行してとか、巻物を咥えて九字を切ると不思議の術によって……とか、非常にファンタジックなものが多かったと思います(もちろん、白土三平の『カムイ伝』に代表されるリアリスティックな作品もあったことは忘れていません)。
忍者モノのファンタジックな描写を裏付けていたのが実は道教であるというのが、「道教と忍者」の趣旨であります。
忍者モノが廃れるにつれ、「道教」というものも日本人の視界から外れていき、「道教」に対して、「なにそれ?」という反応が返ってくることも多い昨今です。
台湾などにおいては言うに及ばず、中華人民共和国においても、道教はいまだ廃れていないように見受けられます。日本の神道同様に、仏教や呪術、シャーマニズムその他と混交習合した民間宗教になりはてている面は否定できませんが。
この面では最近、大谷亨『中国TikTok民俗学 スマホからはじまる珍神探訪』(NHK出版。2025年)を読みました。軽妙な語り口でヘンな神々のことが学問的裏付けとともにたくさん書いてあり、読みながらもう大興奮でした。
一方、中華圏でいまだに武侠モノ作品が元気であることは、上記のような精神性と関係があると思われ、こちらも好物であります。
ついに訳本が完結した、梦溪石(訳本でも姓が簡体字のままというのは不思議ですね)著・高階佑訳の『千秋』(日販アイ・ビー・エス株式会社、2026年)を読みました。武侠BLですが、南北朝時代の終焉と隋の建国をめぐる歴史と、剣豪たちのファンタジックな技がないまぜに語られており、作者はなみなみならぬ筆力の持ち主(もちろん訳者も)と感じました。
この物語でも、秘伝書(かつての忍者モノに度々登場したアレ)が重要な役割を果たしています。いったんは武功の全てを失った主人公が元来以上の力を取り戻すために、そしてなぜか愛を証す贈り物として。
最後の一行がおしゃれでした。