「社畜」という言葉

最近、飛行機に乗って台湾へ遊びに行ってきました。そのとき、機内で映画『長安のライチ』(邦題)を観ました。

 

楊貴妃のために、遠く嶺南からライチの実を長安まで運ぶ仕事を仰せつかった小役人の奮闘を描いた作品(2025年、大鵬監督)です。

ライチの実

その映画の紹介を繁体中国語バージョンで読んだら、締めくくりがこんな感じでした。

「(昔の官僚の、現代人と同じ)社畜人生を描き出している」

 

「社畜」という日本語はイヤな言葉ですが、中国の若者が使っているのを見たこともあり、こうして台湾の航空会社も使っておりというわけで、すっかり中国語に溶け込んでいるといえましょう。

 

社畜か、寝そべりか。若者はどこでも、究極の選択を迫られているのでしょうか。

 

映画の主人公の奮闘は面白おかしく描かれていますが、ペーソスというにとどまらない、深い悲しみがにじんでいました。春節恒例のお笑い映画ですが、それにしては重たい感想を抱きました。

 

付け加えると、主人公の小役人は仕事柄とても数学ができるのです。

数学能力と実証が身を助けることがあるのだな、などと、数学、いや算数すらあまりにもできない筆者はくだらない感慨にふけったことでした。

道教と忍者⑧

「忍者キャラクター」の原型たち③

         

猿飛佐助―「正義」の忍者の完成
現在、忍者の代表格とされるのは猿飛佐助でしょうが、猿飛佐助はジライヤ
から誕生したキャラクターです。「悪の主人公」としてスタートしたジライヤ
が物語進行の都合上、「なし崩し的に」正しくなるのに対して、猿飛佐助は最
初から「正義の主人公」として存在する忍者キャラクターです。
猿飛佐助は『立川文庫』という子ども向けジャンルの中で生まれました。ジ
ライヤとは異なり、最初から子どものために作られたキャラクターだったので
す。よって、その属性は子ども向け読物の主人公に相応しく「善」「正義」で
なければいけませんでした。そのために、猿飛佐助の物語には読者の(子ども
の)「正義感」と矛盾しないような「正統性」が与えられ、かつ猿飛佐助は「
善」で「正義」に相応しい内面を持つ主人公である、といったことが分かるよ
うな描写が繰り返されます。佐藤忠男によれば、猿飛佐助は子どもに大人気だ
ったジライヤから、盗賊などといった子どもに相応しくないとされる要素を抜
いて作り出された正義の士、「お子様向け改良版」ジライヤである、とのこと
です。佐藤は、猿飛佐助を誕生させたのは松之助と同時代に非常に人気のあっ
た大衆児童文化である立川文庫とそれに追随した小型の児童向け講談本である
としながら、『猿飛佐助』とその多くのバリエーションを生んだ立川文庫とそ
の亜流が、尾上松之助や澤村四郎五郎の映画化との相乗効果で1920年前後に児
童大衆文化の主流になった、と結論しています。
主君への忠義を大切にする猿飛佐助は、武士的なキャラクターに「忍術」を
プラスした存在として、それまでの後ろ暗い「忍び」や「忍術使い」とは大き
く異なる新しい「正義の忍者」というキャラクター形成を成功させました。
そして、この「正義の忍者」という概念により、架空の、子ども向けジャン
ル発祥のキャラクターであるにも関わらず猿飛佐助は、長い間忍者ものの中心
で生き残ってこられた、と考えられるのではないでしょうか。なぜなら、忍術
(妖術)の使用にキャラクターの個性の大部分を依存する「ジライヤ」とは異
なり、猿飛佐助は、猿飛佐助的な要素例えば「武士」「忠義」「正義」などの
要素を持たせれば、ストーリーの方向性に関わらず「忍者キャラ」として登場
させることができたからです。

 

中島慧

主な参考文献
『忍者と忍術―闇に潜んだ異能者の虚と実』歴史群像シリーズ71、学研、2003
年。
吉丸雄哉「猿飛佐助と忍者像の変容」『忍者の誕生』勉誠出版、2017年。
佐藤忠男『増補版 日本映画史Ⅰ』岩波書店、2006年。

道教と忍者⑦

「忍者キャラクター」の原型たち②

 

       

 

ジライヤ―忍者になった「妖術」使い
「ジライヤ」は石川五右衛門とは異なって、完全に架空のキャラクターで「
妖術使い」ものに位置付けられます。現在の忍者の「印を結び呪文を唱えドロ
ン」といったイメージはジライヤによって出来上がりました。
江戸末期に妖術師として読本や歌舞伎に登場したジライヤは、簡単に言えば
「悪の主人公」です。盗賊が蝦蟇の仙人から蝦蟇の妖術を伝授され妖術使いと
なって活躍します。ジライヤは後に忍者となりましたが、そこには近代になっ
て流行した映画(活動写真)が大きく影響しています。
例えば、川口素生はジライヤについて、忍者が術を繰り出す姿と酷似してい
たことから、自雷也(ジライヤ)を忍者と捉える観客、読者も少なくなかった
だろう、と推測し、さらに近現代の映画、テレビ番組では自雷也を忍者として
描く傾向が強い、と言っています。
さらに西村安弘も「旧劇 児雷也(豪傑児雷也)」の内容から、止め写しと
いう置換トリックによって隠遁の術や蝦蟇への変身が描かれたことが確認でき
る、として「歌舞伎舞台のセリやドンデンで演出していた児雷也の隠遁の術や
変身(速変わり)を、映画的なトリックに移し変えた」と分析しています。こ
のような点から、「映画ジライヤ」の「忍術」と「歌舞伎ジライヤ」の「妖術
」は互換性があり、視聴者・観客にとって重要なのは視覚的な演出(隠遁や変
身など)であったので、その根拠が「妖術」にあっても「忍術」にあっても関
係なく、両者は容易に混同した、と考えられます。
また、そこには忍者映画の主な観客であった子どもの存在が欠かせません。
子どもは忍者映画のトリックによる忍術(妖術)の演出、印を結んで呪文を唱
えるとドロンと変身したり消えたりする、といった演出を好みました。ここか
ら、呪術性の強い「忍者ジライヤ」の視覚的イメージが定着していったのです

しかしジライヤは従来の妖術使いものの流れにあります。そのため、ジライ
ヤが忍者と見なされても、ジライヤというキャラクターを「ジライヤらしく」
描写しようとするならば、そこから「妖術的な」要素を外すことはできないで
しょう。ストーリーに重心を置いて動かせる石川五右衛門や猿飛佐助とは異な
り、「ジライヤ」の中心は「妖術的な」忍術の使用にある、と考えられます。
そのために、時代性や社会性を反映する忍者には「ジライヤ」というキャラク
ターは不向きであった、と想定できます。ゆえに、ジライヤを主役とするよう
な忍者ものは時代の好みが変化するとともに無くなっていきました。

中島慧
主な参考文献
『【決定版】図説・忍者と忍術忍 器・奥義・秘伝集』歴史群像シリーズ特別
編集、学研、2007年。
西村安弘「消えた児雷也」『芸術世界』14、2008年、1∼6p。

道教と忍者⑥

「忍者キャラクター」の原型たち①

                                                            

      

 

フィクションにおける忍者には「盗むという行為」「妖術という技術」「正
義という精神性」の3つの焦点がある、と考えられます。
そして「呪文を唱えると煙とともにドロン」という忍者・忍術のイメージ形
成に大きく影響を与えたフィクションとして石川五右衛門・児雷也(自来也
)・猿飛佐助の3人が挙げられます。


石川五右衛門―「忍術」を使う泥棒の物語
 実在の人間がフィクションの中で忍者に仕立て上げられた例では、石川五右
衛門が最も有名でしょう。五右衛門は釜煎りの刑で有名な泥棒ですが、その素
性が分かるような資料はほとんど存在せず、刑の執行についての記録が幾つか
あるだけです。この五右衛門が、『絵本太閤記』、浄瑠璃、歌舞伎などで、忍
術の大英雄に仕立て上げられていきます。
『絵本太閤記』は五右衛門が臨寛という異人から忍術を学び、伊賀の郷士百
地三太夫に仕えるが裏切って逃亡、京で忍術を使って盗賊になり、やがて秀吉
の命をねらう、というのが大体の筋です。歌舞伎では、並木五瓶の『楼門五三
桐』が「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金」のセリフで有名です。
フィクションにおける石川五右衛門のキャラクターの展開について、例えば
原田伴彦は以下のように整理しています。原田は、五右衛門の脚色の始まりを
十七世紀末葉元禄のすこし前頃と特定し、松本治太夫の浄瑠璃本『石川五右衛
門』をその始まりとします。『楼門五三桐』における山門の場面を挙げ、千日
鬘、太い眉、赤い隈取、黒に金銀の縫い取りの派手な衣装、銀煙管、で桜を前
に「絶景かな、絶景かな、春のながめ価千両」と言う、という演出により、以
後このイメージが五右衛門の新しい大衆的イメージとして定着したとし、芝居
で五右衛門に義賊的な性格がつけ加えられている、と分析します。原田は、石
川五右衛門のャラクターの展開について「十七世紀には放埓な強盗、十八世紀
には義賊的なものとされた五右衛門は、十九世紀になると忍者的な性格がつけ
加えられていく。」とし、忍者的な五右衛門像の始まりは『絵本太閤記』であ
ると特定、忍者モノの原型はここで創られたと考察しています。
石川五右衛門の忍者化は社会背景を背負って行われました。実在の泥棒がフ
ィクションを通じて忍者とみなされるようになったのは、史実的な忍者が持つ
「盗人の技術」という側面が、史実の石川五右衛門(推定)という泥棒の箔付
けのように機能したためである、と考えられるでしょう。
石川五右衛門はヒーロー的な忍者キャラクターですが、それは泥棒という犯
罪者を社会や権力に対する挑戦者と見なし支持する庶民の嗜好や、義賊や権力
者に対する挑戦者という脚色が、庶民の願望を満たしたためです。

中島慧


主な参考文献
原田伴彦『石川五右衛門ほか―日本史人物夜話―』時事通信社、1973年。

ブック&カフェそして中国語翻訳本

東京都清瀬市にて撮影

暦の上ではまさに春爛漫といってよさそうな時期ですが、東京は案外寒いです。

 

さて、当会は東京都日野市に主たる事務所を置いております。

日野市といえば、いろいろ名所名物もございますが……ごにょごにょ。

 

その日野市、南平にありますブック&カフェ、よりまし堂を訪ねてみました。

 

入りやすいお店です。ただ、入ったあとの二歩めを、書棚の方に進めれば良いのか、とりあえずテーブルの方に行けば良いのか、それとも奥にたくさんある、雑貨の方を先に見ればいいのか、ちと迷いました。

 

今回はまずテーブルに座りまして、豆乳カフェオレを注文しました。

と、目の前に『本の雑誌』が立ててあるのに気づきました。

 

久しぶりに見る『本の雑誌』です。付箋に導かれて開きますと、なんと、2026年2月号の巻頭グラビアはよりまし堂でした。

 

そんな今をときめく、よりまし堂に、できて1年たってやっと足を踏み入れたわけで、少し我が身が情けない。

 

なめらかな豆乳カフェオレを味わいながら、さらに『本の雑誌』を読み進んで行きました。

ここからが本題です。

 

さきの記事で触れました、『風起隴西』のことが、伝統の「新刊めったくたガイド」、小川正執筆の部分に載っていたのです。

 

小川は、時代と地理を把握するために年表と地図帳を用意し、一ヶ月以上をかけて、『風起隴西』を丁寧に読み込んだそうです。すばらしい態度ですね。

 

たしかに、三国志といっても赤壁の戦いの後は何がなにやら分かりませんし、蜀の地理もぜんぜん知りません。パンダがいるところでしょう、あと大地震がありました。それぐらいです。

 

私は、こういう推理モノを夢中で読んだあと、「で、誰が犯人だったの?」と思うようなぼんくらですが、小川を見習って調べながら読んでみたら、わたしにだってよく理解できるはず。

 

いえ、ドラマは最終回で複雑になってしまいましたが、本の方は、誰がラスボスだったのか、ちゃんとわかるようになっておりました。恐れずに、皆さん読んでみてください。

 

作者馬伯庸つながりで書き添えますと、今度は『両京十五日』(全4巻)の翻訳が、この2月から4ヶ月連続で出るそうです。

 

今日、1巻を読み終えて本屋に走って行き、2巻ありますかときいたら、「明日入荷」という答えでした。明日も本屋へGOですね。

 

あ、よりまし堂の話でした。よりまし堂で次に買う本は、『またの名をグレイス』と決めています。

 

添添ちゃんのレベル講座④解答解説編

今日も頑張ろう

今回の問題は以下の一文でした。ちなみに、レベル講座では必ず一文のみ出題するようにしています。

 

・相比前4代移动通信技术,5G最重要的变化是从面向个人扩展到面向产业。

 

 

まず、模範解答です。

 

これまでの4世代のモバイル通信技術に比べ、5Gの最も重要な変化は、対象が個人向けから産業向けに拡大されたことである。

 

対応させて示しますと、

 

①相比前4代移动通信技术,→これまでの4世代のモバイル通信技術に比べ、

 

5G最重要的变化是→5Gの最も重要な変化は、

 

面向个人→対象が個人向けから

 

④扩展到面向产业。→産業向けに拡大されたことである。

 

こうなります。中国語から日本語に訳す場合、混乱しないで済むコツは、頭から順番に訳すことです。たまには英語みたいにひっくり返さなくてはならないときもありますが、できる限り頭から順に訳すといいですね。

 

①の部分では、いきなり”相比”ときていますので、何と比べているのかをつかみましょう。何を比べているのかは、まだ考える必要なし。②で自ずから明らかになります。

 

②の部分で主語が出てきます。”是”の前の部分がそうです。主語がわからなくなりがちなので、主語には何かマークをつけましょう。

 

③前置詞”从”がありますから、どこから始まっているのかおさえます。この一文字も、印をつけておきましょう。

 

④”扩展”は拡大することですが、これに”到”がついていますね。”从”を受けているのがこの”到”です。これもマークして”从”と結んでおきます。

 

②でマークした主語の動詞が”扩展”ですから、動詞マークを適宜つけて、主語マークと結びます。「何がどうする」のかがつかめました。「拡大する・した」だと日本語として変なので、「拡大された」と受身形にしたテクニックをご覧あれ。

 

後半部分で「何これ?」となるのは、

 

从面向个人扩展到面向产业

 

と、”面向”が二回出てくるところではないでしょうか。そうです。これぞ中国伝統の「対句」というやつです。

 

ま、これぐらいならわかりやすいですよね、どちらも「向け」と訳しておけば問題ありません。

 

 

こんな感じで訳していけば、もっと長い文でも怖くないですよ。あとは、語句の意味用法を真面目に調べれば満点がとれます。

 

レベルって、本当に面白いですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

添添ちゃんのレベル講座④

添添ちゃん

让你们就等了! 我回来了!

 

今日はいよいよレベル4です。

以下の文を訳してみてください。

 

相比前4代移动通信技术,5G最重要的变化是从面向个人扩展到面向产业。

 

2020年の問題です。

 

今年日本ではガラケー文化を支えた3Gが廃止になるそうですね。

 

中国では、いきなりスマホ(智能手机)を持つ人が多く、ガラケー時代はなかったといいます。

むしろ、今たんに”手机”といったら誰もがスマホを思い浮かべるでしょう。

 

模範解答と解説は、またしばらくしたらここで公開します。お楽しみに!